2。親が子どもとしてではなく人として接すること。

目次

子どもではなくて、人として。

 私の親は私のことを子どもとしてじゃなくて人として見ているように思う。一人の人間として。ほら、子どもは親の言うことを聞くものだとか、そういう考えを持っているような親も多いじゃない。子どもの考えを真っ向から否定するような。ほかにも暴力とか。私の場合はそういうものが一切なかったし、そういうことをする親が現実世界にいるとは思ってはいたけれど、そんなにたくさんはいないと思っていた。子どもは確かに親から生まれてきたけれど、いつまでも親のものではないでしょう?自分自身で決めなければいけないこと、親が口出してもいい範囲ってものがあるじゃない。例えばね、大学受験。これは私の場合は専門の大学で、高額なお金がかかるってことが高校1年生の時にはもうすでに分かっていたから、頭を下げていかせてくださいってした。金銭面の問題で受験直前になってあきらめるってことだけはしたくなかったから、最初に通らなければいけない関門だと思った。幸いにも許可が下りたら、どこの大学を受験するかっていうのは自分の人生なんだから、親が○○大学に行きなさいっていうのはお門違いじゃない?私はそう思ったのよ。そりゃね、浪人しちゃいけないのにあんまりにもレベルの高いところばかり受けるとか、一人暮らしはしちゃいけないって言われているのに、通えない範囲の大学とか、そういう問題であったら口出したっていいと思うんだけど、親が○○大学にしなさいって言ったからこの大学に来たなんて人は正直大学を満喫できないのではないかなって。

親と子どもの意見の違い。

 私は親から生まれてきたとは言え、母のクローンではないのだから、幼いころには持っていなかった自分ならではの考えっていうものを成長していくにつれて持つようになると、親の言うことが絶対だという世界ではなくなるじゃない。いわゆる思春期とか。私は成長が遅かったから、自我が確立するのは遅かったように思うし、親の言うことには「はい」と言うべきだという考えを持つ時間が長かった。ただ、家の世界ではない学校とか地域とかそういう外の世界に刺激を受けて今を生きることで私は私なりの考えを持つことも増えると、親というのはどうやら混乱してしまうんですって。自分が小さいころから育ててきた子どもっていうのが、私には持っていない考えを持っているじゃない!って。その考えを武器に親と話し合った時に、親の中でわからないっていうのが生まれてしまう。そこで、なんでそんな考えを!ってなるのか、わからないけど、そういう考えもあるんだなって流せるかっていうのが子どものことを一人の人として、人間として見ているかの違いなのではと思うんだ。そうそう、ただね、親の考えを子どもが受け入れるっていうことももちろん大切。考えが異なって、受け入れてくれない親が全部悪いっていうのはまたおかしな話よ。親の中でのここだけは譲れないっていう考えも反抗期のときはなんだいってなっていたけれど、私が受け入れられるようになったから、やっぱり私、成長している。


なんかグダグダになってしまったけどまぁいいや。今日は遅くなっちゃった。悔しい。